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画像提供:廣野ゴルフ倶楽部
兵庫県三木市志染町広野、1932年6月19日開場の会員制コースである。設計はチャールズ・ヒュー・アリソン。1931年1月に候補地を視察したアリソンが、神戸のオリエンタルホテルに3日間こもって描き上げた18ホールで、造成は伊藤長蔵が現場監督を務めた。ブラックティ7,295ヤード・パー72。日本オープンを5回(1939・1955・1960・1967・2005年)、2015年には第100回日本アマチュアゴルフ選手権を開催している。1944年に戦時徴用で閉鎖された後、1947年から乾豊彦を中心とする7名の委員会が再建に着手し、1949年に18ホールが復興した。2019年には全英オープン開催コースの改修を数多く手がけるマーティン・イーバートによって、9か月をかけた大規模改修が行われている。
料金は時期・プランで変動するため目安。最新は予約ポータルで要確認。
1930年春、舞子カンツリー倶楽部(現・垂水ゴルフ倶楽部)のメンバーだった鋳谷正輔・高畑誠一・鈴木岩蔵・伊藤長蔵の4人が、別の土地を視察に行く道中で偶然この地を見つけたのが始まりである。当時9ホールしかなかった舞子に対し、18ホールのコースを造りたいという願いがあった。折しも東京ゴルフ倶楽部の移転設計のために来日していたチャールズ・ヒュー・アリソンに現地視察を懇請し、アリソンはゴルフ場建設に適した土地と確信して、オリエンタルホテルの一室で3日間かけてレイアウトを完成させた。造成では伊藤長蔵と高畑誠一がグリーンにベントグラスを採用し、当時の日本では困難だった育成を成功させている。その後、高麗への転換を経て1987年の緊急理事会でベントへの復帰とアリソン設計に近い形への回帰が決議され、2019年にはマーティン・イーバートによる改修で原設計の意図を現代の距離に合わせ直した。90年以上にわたって「アリソンが描いた図に近づける」ことを判断基準にしてきたクラブである。
1963年9月28日、当時23歳のジャック・ニクラスが来場した。すでに全米オープン、マスターズ、全米プロを制してメジャー3勝、PGAツアー7勝を挙げていた彼は、「15番のパー5をキャリーで2オンした者はいない」という言葉を聞かされると目の色を変え、第1打をドライバー、第2打をスプーンでグリーンセンターに乗せた——このエピソードは今もクラブで語り継がれている。ブラックティで592ヤードのパー5である。
ブラック176ヤードのパー3。450ヤード超のパー4が2番・3番・4番と3つ続いた直後に置かれている。長いホールで消耗したところへ、距離ではなく正確さだけを問うホールが差し込まれる並びは、アリソンが1931年に描いたレイアウトのままである。
パー3の13番だけは、公式のコースギャラリーに「1932」と「2005」の2種類のティー距離が併記されている。ブラックティで1932年が163ヤード、2005年が166ヤード。開場時の設定を数字として保存し、現在の設定と並べて示しているホールで、このクラブが原設計をどう扱っているかがそのまま表れている。
※ホールごとの攻略解説は公式サイトでは公開されていない。上記は公式のクラブ史とコースギャラリーに記載された事実に基づく。
アウトは2番(ブラック457ヤード)、3番(462ヤード)、4番(461ヤード)と450ヤード超のパー4が3つ続き、5番で176ヤードのパー3、6番で443ヤードのパー4、7番で217ヤードのパー3と、長いパー4と距離のあるパー3が交互に現れる。ここを凌げるかどうかで前半のスコアが決まる。8番(356ヤード)だけが短く、休める唯一のホールになっている。
12番はブラック604ヤード、15番は592ヤード、9番も561ヤードと、パー5が長い。パー3も17番が229ヤードと距離があり、13番だけが163〜166ヤードと短い。全体でブラック7,295ヤードのうち、インが3,662ヤードを占める。
1987年6月の緊急理事会で、アリソンの設計に近い形へ戻すことと、USGA方式のサンドグリーンとすることが決議され、1988年11月からベントグリーンの使用が始まった。開場時のグリーンにベントグラスを採用したのは伊藤長蔵と高畑誠一で、当時としては極めて難しい育成を成功させている。現在のグリーンは、その原点に戻す判断の産物である。
2018年4月にマーティン・イーバートへ改修を依頼し、2019年1月4日から9月30日までコースをクローズして9か月の工事を行った。公式のコースギャラリーでは各ホールについて「Alison Plan」と「2019-」の2つの図が並べて示されており、原設計と現在の姿を比較できるようになっている。13番のパー3に1932年と2005年の2種類のティー距離が併記されているのも、原設計を保存する姿勢の表れである。
設計はチャールズ・ヒュー・アリソン(Colt, Alison & Morrison Ltd.)。1883年3月5日イングランド生まれで、1920年にハリー・コルトらと設計事務所を開設し欧米で数々のコースを手がけた。1930年に東京ゴルフ倶楽部の依頼で来日し、1931年1月10日に廣野の候補地を視察、神戸のオリエンタルホテルの一室に3日間こもって18ホールのレイアウトを描き上げた。アリソンは2か月で帰国したため、実際の造成は伊藤長蔵が現場監督を務め、上田治(のちの支配人)が補佐した。伊藤と高畑誠一はグリーンにベントグラスを採用し、苦心の末に育成を成功させている。
| 所在地 | 〒673-0541 兵庫県三木市志染町広野7-3 |
|---|---|
| ホール数 | 18ホール・PAR 72・7,295ヤード(18ホール(ブラックティ7,295ヤード)) |
| グリーン | ベントグリーン(USGA方式のサンドグリーン) |
| コースタイプ | 丘陵 |
| 設計 | C.H.アリソン |
| 開場 | 1932-06-19 |
| 種別 | 任意団体 |
|---|
| ティ | ヤード | コースレート | スロープ |
|---|---|---|---|
| Black | 7,295 | — | — |
| Blue | 6,836 | — | — |
| White | 6,452 | — | — |
アウトはブラック3,633ヤード・パー36、インは3,662ヤード・パー36。ティ別の合計はブルー6,836ヤード、ホワイト6,452ヤード(13番は2005年設定の距離で算出)。13番のパー3だけは1932年の原設計と2005年設定の2種類のティー距離が併記されている(ブラックで1932年163ヤード、2005年166ヤード)。
| 電車 | 広野ゴルフ場前駅 |
|---|---|
| クラブバス | なし。 |
| 練習場 | あり 練習場がある。 |
|---|---|
| キャディ | 全組キャディ付き。歩いてのラウンド。1組4人が原則だが、状況によりスリーサムも可。 |
| 風呂 | なし |
| レストラン | なし |
| ドレスコード | クラブハウスでは、夏期(8月中)を除きブレザー等の上着を着用する。襟付きシャツ(ジャケットの下のインナーを含む)を必ず着用し、裾はズボンに入れる。半ズボン、ジーンズ(デニム生地およびデニムと思われる生地)、アンクルパンツ、ジョガーパンツ、カーゴパンツ、素足が見えるスニーカーソックス、ジョギングシューズ・スニーカー類・サンダルは不可。コース内では、派手な色彩(赤色等)や迷彩柄、大きなロゴや刺繍のウェアを避け、襟付き・袖付きのシャツを裾を入れて着用する。タートルネックは可だがモックネック・ハイネックは不可。半ズボンは膝丈で、白か単色のくるぶしが隠れる丈のソックスを合わせる。七分丈ズボン、トレーナー・ジャージ類、フード付きウェア(防寒服とレインウェアを除く)、腰にタオルを下げること、サスペンダーでのプレーはいずれも不可。ゴルフシューズはソフトスパイクが望ましいが、メタルスパイクも認められる。食堂・バーではジャンパー、ウインドブレーカー、レインウェア、防寒服の着用と、それらや帽子・手荷物の持ち込みができない。 |
| 定休日 | 毎週月曜日 12月31日 1月1日 |
| 電話 | 0794-85-0123 |
会員制のクラブで、ビジターは会員の同伴が前提となる。公式サイトの遵守義務には、細則の「会員は同伴したビジターについて、一切の行為に対して全責任を負うものとする」という規定が引かれており、同伴する会員があらかじめ服装規定とコースエチケットをビジターに示すよう求めている。規則に反する行為があった場合は警告や退場を求められることがある。予約サイト等からのビジター単独予約は受け付けていない。
1981年4月7日から、チャンバー跡地をJ.G.A.ゴルフミュージアムの敷地として貸し出している。
会員制のクラブで、ビジターの方は会員の同伴が前提となります。細則に「会員は同伴したビジターについて、一切の行為に対して全責任を負うものとする」とあり、同伴される会員があらかじめ服装規定とコースエチケットをお示しすることになっています。
クラブハウスでは夏期(8月中)を除きブレザー等の上着をご着用ください。コース内では襟付き・袖付きのシャツを裾を入れて着用し、派手な色彩や迷彩柄、大きなロゴや刺繍のウェアはご遠慮いただいています。ジーンズ、アンクルパンツ、ジョガーパンツ、カーゴパンツ、七分丈ズボン、フード付きウェア(防寒服とレインウェアを除く)も不可です。半ズボンは膝丈で、白か単色のくるぶしが隠れる丈のソックスを合わせてください。
できません。プレーヤーと従業員のプライバシー保護のため、倶楽部の敷地内(コース内・クラブハウス内を含みます)で撮影・録音した写真や動画をSNSやブログを含むインターネット上に掲載することは固くお断りしています。クラブハウス内での撮影・録音も原則禁止です。
チャールズ・ヒュー・アリソン(Colt, Alison & Morrison Ltd.)です。1931年1月に現地を視察し、神戸のオリエンタルホテルの一室に3日間こもってレイアウトを描き上げました。造成は伊藤長蔵が現場監督を務めています。
日本オープンゴルフ選手権を1939年・1955年・1960年・1967年・2005年の5回、2015年には第100回日本アマチュアゴルフ選手権(優勝・金谷拓実)を開催しました。2002年にはアジア太平洋選抜とヨーロッパ選抜によるボナラックトロフィー第3回大会も開かれています。
2019年1月から9月まで9か月間クローズし、全英オープン開催コースの改修を数多く手がけるマーティン・イーバートによる大規模改修を行いました。それ以前にも、1987年の緊急理事会でアリソンの設計に近い形へ戻すこととUSGA方式のサンドグリーンとすることが決議され、1988年からベントグリーンの使用を再開しています。
最終確認日:2026-09-07