コース上で、いつも口角が上がっている選手がいました。難しいラフからのショットでも、痺れるパットの前でも、その人懐っこい笑顔は消えない ― 丸山茂樹。世界のメディアは彼を「Smiling Assassin (微笑む暗殺者)」と呼び、日本では「スマイル王子」として親しまれました。青木功が切り拓いた海への道を、丸山は 3つのPGA TOURタイトル という形で確かに前へ進めます。言葉も文化も違う米国ツアーで、英語のジョークでギャラリーを沸かせ、勝負どころでは静かに刃を抜く。海を渡った日本人ゴルファーの系譜に新しい一章を書き加えた丸山茂樹の物語を、年表と名場面で振り返ります。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1969 | 9月12日、千葉県市川市に生まれる |
| 1990 | 日本大学在学中、アイゼンハワートロフィー (世界アマ団体戦) に日本代表として出場 |
| 1992 | プロ転向 |
| 1993 | ペプシ宇部興産オープンでJGTO初優勝 (トッド・ハミルトンを2打差で下す) |
| 1995-96 | ブリヂストンオープン連覇。国内トップ選手の一人に |
| 1997 | 日本プロ選手権・読売オープンなど 一年で4勝、賞金ランキング上位の常連へ |
| 1998 | プレジデンツカップにインターナショナルチームとして出場、5戦全勝 (5-0-0) |
| 1999 | ブリヂストンオープン3度目の優勝。WGCで好成績を残し、米ツアー出場権を獲得 |
| 2000 | PGA TOURに本格参戦。同年の 全米オープン地区予選で「58」 をマーク |
| 2001 | ミルウォーキー・オープン優勝 ― 青木功に続く日本人男子2人目のPGA TOUR制覇 |
| 2002 | バイロン・ネルソン招待 (ベライゾン・バイロン・ネルソン・クラシック) 優勝。全英オープン5位タイ |
| 2002 | ワールドカップ優勝 (伊澤利光とのペアで日本代表として制覇) |
| 2003 | クライスラー・クラシック・オブ・グリーンズボロ優勝 ― 3年連続の米ツアー勝利 |
| 2004 | 全米オープン (シネコックヒルズ) 4位タイ ― 自身のメジャー最高位。世界ランク自己最高の19位 |
| 2008 | PGA TOURの出場権維持が難しくなり、日本ツアーへの本格復帰を表明 |
| 2009 | ゴルフ日本シリーズJTカップ優勝 ― 国内での復活勝利 (キム・キョンテとのプレーオフを制す) |
| 2010s | 第一線を退いた後は後進の指導・解説に。ジュニア育成や日本代表のコーチも務める |
市川の少年が日本大学を経てプロになり、青木功が開いた海の向こうの扉を、自らの脚で確かにくぐっていった軌跡でした (JGTO選手プロフィール, PGA TOUR公式プロフィール)。
2000年にPGA TOURへ本格参戦した丸山は、2年目の2001年7月、ウィスコンシン州のミルウォーキー・オープン (グレーター・ミルウォーキー・オープン) で歴史的な一勝を挙げます。
4日間を68・65・67・66とまとめてトータル 266 (18アンダー)。当時21歳の新鋭チャールズ・ハウエルIIIとプレーオフに持ち込み、最初のエキストラホールをバーディーで制して優勝 しました (PGA TOUR公式プロフィール, Wikipedia (脚注のPGA TOUR / OWGR記録に基づく))。
これは 青木功 (1983年ハワイアンオープン) に続く、日本人男子として2人目のPGA TOUR優勝 でした。日本人が米ツアーで勝つことが「奇跡」ではなく「続いていく挑戦」になった ― その意味で、丸山の初優勝はバトンを確かに受け継いだ一打だったのです。そしてこの勝利は、丸山にとって3年連続優勝という快進撃の始まりにすぎませんでした。
丸山のキャリアでメジャー最高の輝きを放ったのが、2004年6月、ニューヨーク州シネコックヒルズ・ゴルフクラブで開かれた全米オープンです。
難コースとして知られるシネコックで、丸山は初日に単独首位に立つ好スタートを切ります。2日目を終えても 6アンダー134でフィル・ミケルソンと首位タイ という、日本人としては青木功の1980年以来となる全米オープン制覇の期待を抱かせる位置につけました (2004 U.S. Open (脚注のUSGA記録に基づく))。
週末はグリーンが極端に硬く速くなる「サバイバル」のような展開となり、最終的に優勝はレティーフ・グーセン。丸山は 3打差の4位タイ でフィニッシュしました。優勝こそ届きませんでしたが、これは丸山自身のメジャー最高位であり、青木功以来となる日本人男子の全米オープン上位フィニッシュでした。同年3月には 世界ランキング自己最高の19位 に到達し、丸山は名実ともに「世界で戦う日本人」のトップに立っていました (PGA TOUR公式プロフィール, Wikipedia (脚注のOWGR記録に基づく))。
| 項目 | 数字 | メモ |
|---|---|---|
| PGA TOUR優勝 | 3勝 | 2001ミルウォーキー / 2002バイロン・ネルソン / 2003グリーンズボロ |
| 日本ゴルフツアー (JGTO) 優勝 | 10勝 | 1993〜2009 |
| PGA TOUR通算獲得賞金 | 約1,380万ドル | 公式マネー ($13,809,170) |
| PGA TOUR出場 | 276試合 | うち予選通過186試合 |
| 世界ランキング最高位 | 19位 | 2004年3月21日 |
| メジャー最高成績 | 全米オープン4位タイ | 2004 (シネコックヒルズ) |
| 全英オープン最高成績 | 5位タイ | 2002 |
| マスターズ最高成績 | 14位タイ | 2002 |
| プレジデンツカップ | 1998 / 2000出場 | 1998年は 5戦全勝 (5-0-0) |
| ワールドカップ優勝 | 2002 (伊澤利光と) | 日本代表として制覇 |
メジャー通算では34試合に出場してトップ10が3回 (全米OP 1・全英OP 2)。派手な数字ではありませんが、最も硬いセッティングの全米オープンで上位に食い込んだ「タフな舞台での強さ」が丸山の真骨頂でした (PGA TOUR公式プロフィール, Wikipedia (脚注のPGA TOUR / OWGR記録に基づく))。
丸山茂樹を語るうえで欠かせないのが、2000年6月、メリーランド州ウッドモント・カントリークラブ (サウスコース) で開かれた 全米オープンの地区予選 (セクショナル・クオリファイ) で記録した「58」 です。
パー71のコースを13アンダー。これはプロゴルフ史でも屈指の低スコアで、全米オープン予選の最少記録として今も語り継がれています。公式トーナメントではないためPGA TOURの公式記録には残りませんが、その衝撃の大きさは別格でした (Wikipedia (脚注の当時報道に基づく))。
興味深いことに、この「58」は、後にPGA TOURの公式トーナメントでジム・フューリックが2016年トラベラーズ選手権の最終ラウンドで出したスコアと同じ数字です。本戦ではない予選とはいえ、丸山はそれを16年も先んじて叩き出していたことになります。
このラウンドは、丸山が米国の舞台に「これから世界と戦う日本人がここにいる」と高らかに名乗りを上げた、まさに序章の名場面でした。
丸山茂樹を世界的な人気者にしたのは、勝利数だけではありません。コース上で絶えず浮かべる、あの人懐っこい笑顔 でした。難しい状況でも顔をしかめず、ギャラリーとアイコンタクトを交わし、ときに英語のジョークでスタンドを沸かせる ― そんな彼を、米国のメディアは敬意とユーモアを込めて 「Smiling Assassin (微笑む暗殺者)」 と呼びました。笑顔の裏に、勝負どころで静かに刃を抜く勝負師の顔があったからです (Wikipedia (人物・ニックネームの記述))。日本のファンは彼を「スマイル王子」と呼んで愛しました。
その親しみやすさは、青木功が「日本ゴルフの大使」として果たした役割を、また違う形で受け継ぐものでした。青木が不屈の勝負勘と独特のパッティングで世界を驚かせたのに対し、丸山は 笑顔とコミュニケーション能力で世界の懐に飛び込んでいった のです。言葉も文化も違う米国ツアーで、嫌われ者になることなく、むしろ多くのギャラリーとプロ仲間に愛される ― それ自体が、海外で長く戦い続けるための大きな武器でした。
団体戦での強さも丸山の魅力です。1998年のプレジデンツカップではインターナショナルチームの一員として 5戦全勝 (5-0-0) という完璧な成績を残し、2002年のワールドカップでは伊澤利光とのペアで日本に優勝をもたらしました。個人としてもチームとしても「日の丸を背負って勝てる選手」だったのです (PGA TOUR公式プロフィール)。
第一線を退いた後は、後進の指導や解説に力を注ぎ、ジュニア育成や日本代表チームのサポートにも関わってきました。青木功・丸山茂樹が海を渡って結果を出した道の先に、松山英樹をはじめとする今の日本人選手の世界での活躍がある ― その系譜の「真ん中」を担ったのが、笑顔の挑戦者・丸山茂樹でした。
レギュラーのPGA TOURで通算3勝です。2001年ミルウォーキー・オープン (グレーター・ミルウォーキー・オープン)、2002年バイロン・ネルソン招待 (ベライゾン・バイロン・ネルソン・クラシック)、2003年クライスラー・クラシック・オブ・グリーンズボロと、3年連続でタイトルを獲得しました。これは青木功 (1983年) に続く、日本人男子として2人目以降の米ツアー制覇です。
コース上でいつも笑顔を絶やさず、難しい場面でもギャラリーとユーモアを交わす人柄から、日本では「スマイル王子」、米国メディアからは「Smiling Assassin (微笑む暗殺者)」と呼ばれました。笑顔の裏に、勝負どころで静かに勝ちきる勝負師の一面があったことを表したニックネームです。
2004年全米オープン (シネコックヒルズ) の4位タイが自身のメジャー最高位です。初日に単独首位、2日目もフィル・ミケルソンと首位タイにつけ、最終的に優勝レティーフ・グーセンの3打差で4位タイ。青木功以来となる日本人男子の全米オープン上位フィニッシュでした。全英オープンでは2002年に5位タイがあります。
2000年の全米オープン地区予選 (メリーランド州ウッドモント・カントリークラブ) で丸山が記録した1ラウンドのスコアです。パー71を13アンダーで回り、全米オープン予選の最少記録として知られています。公式トーナメントではないためPGA TOURの公式記録には入りませんが、その衝撃は今も語り草です。
現在は第一線を退いているため、最新成績を自動で更新する選手ページは設けていません。本記事が事実上の選手プロフィールページです。現役選手のデータは プロゴルファー検索 からご覧いただけます。
最終更新: 2026-06-04